富士山の大規模雪代災害

 江戸時代後期の天保5年4月8日(1834年5月16日)、富士山で大規模な雪代(ゆきしろ)災害が発生した。雪代とは、春先に雪融けが進む中で大量の雨によって発生する大規模な雪崩であり、特に富士山では、表面が崩れやすい砂礫で覆われているため、山麓へは土石流となって流れ下り、家屋や耕地に被害をもたらすことがある。

 この天保5年の雪代は南岸低気圧の通過により大雨となったことで、富士山に形成されていた谷で軒並み雪代が発生した。富士山の南西側では富士宮市から富士市の市街地にかけて土石流が到達し、北側では富士吉田市の市街地から桂川を超えて土石流が到達した。これにより、富士山麓で多数の家屋が損壊・埋没している。

災害カレンダー

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明治5年12月2日(1872年12月31日)以前の災害は旧暦で記載しています。

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