明治三陸地震

『青森県海嘯災害畫報』 第1図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民冨田熊吉妻及長女を背負いて川底に埋められ惨死したるを発掘する図(青森県上北郡三沢村大字三川目/現在の三沢市三川目公民館付近):現在の青森県三沢市三川目付近の様子。川の右岸から親子の遺体を引き上げている様子が描かれている。 川岸は崖のように描かれていることから、川底と川岸で高低差がある河川と推測できる。 両岸に瓦礫が見られないことから、津波が川沿いに遡上してきたものと考えられる。 なお、青森県三沢市三川目公民館にある木製の三陸海嘯被害略図(青森県石碑分布No.2、津波ディジタルライブラリィ2013)に冨田熊吉氏と思しき人物名が記載されている。 提供:防災科学技術研究所(作成:對馬豊憲)

 1896年(明治29年)6月15日19時32分頃、マグニチュード8.2の明治三陸地震が発生した。地震の揺れに伴う被害はなかったが、発生から約30分後に三陸沿岸に大津波が来襲した。

 津波の高さは綾里(岩手県大船渡市)で38m超に達し、逃げ遅れた多くの住民が死亡した。死者は約22,000人に達し、特に岩手県の死者が約18,000人と多かった。また、流出や損壊した家屋は10,000棟以上にのぼった。

 津波はハワイやアメリカ本土でも観測された。

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揺れが小さいから…では、決して安心できない

 明治三陸地震の特徴は、地震の揺れの規模の割に大きな津波が起こる「津波地震」であることです。現在の震度にして2~3と揺れが小さいにも関わらず、最高で38メートルもの打ち上げ高を記録するほどの大きな津波が、青森県から宮城県までの沿岸部を襲いました。

 津波は、断層破壊によって海底の地盤変動が生じることで起こります。急激に地盤が変動する通常の地震に比べて、ゆっくりと長時間続く「津波地震」は、「揺れは小さいけれど津波は大きい」というもので、その代表がこの明治三陸地震津波なのです。

 当時は津波の警報もありませんでしたので、人々の意識として、地震の揺れの大きさが津波襲来の判断基準となっていました。揺れが小さかったこの地震では、発生後すぐに逃げる人がいなかったため、被害が大きくなったといわれています。この津波で亡くなった方は、わが国の津波災害史上最大の22,000人に上ります。

 実は、明治三陸地震から100年以上経った今でも、津波地震かどうかを短時間で正確に判断することはできません。まだまだ発展途上の技術で、広帯域地震計で「揺れは小さいけれど、断層のずれは大きい」と分かる程度。揺れは小さいのに津波警報が発令されたり、地震発生から数分で津波が襲ってくる場合もあります。ですので、少しでも揺れたら沿岸部にいる方はすぐに逃げるという心構えが必要です。

越村 俊一(東北大学 災害科学国際研究所 教授 博士(工学))
越村 俊一
東北大学 災害科学国際研究所 教授 博士(工学)
専門は、津波工学。地域の災害に対する脆弱性を評価し、有効な減災策を社会に提案している。2016年、日本シミュレーション学会賞。総務省東北総合通信局長表彰、ジャパン・レジリエンス・アワード優秀賞を受賞。

参考資料

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