安政東海地震・安政南海地震(安政元年)
嘉永7年・安政元年11月4日(1854年12月23日)午前9時頃、紀伊半島南東沖から駿河湾にかけてを震源とする安政東海地震が発生、その31時間後の11月5日午後4時頃、紀伊水道から四国沖を震源とする安政南海地震が発生した。ともにフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界で発生したマグニチュード8クラスの巨大地震である。
被害は伊豆から四国にかけての広い範囲に及び、死者は数千人、倒壊家屋は30,000棟以上という大きな被害をもたらした。津波は、安政東海地震では三重県で、安政南海地震では高知県で、いずれも高さ20mを超えたとの記録がある。
また、安政南海地震では、大津波が来襲した和歌山県広村(現:広川町)で、水田の稲むらに火を放ち住民を高台へ誘導した浜口梧陵の「稲むらの火」の逸話が知られており、これを基に、津波対策への理解と関心を深めることを目的として11月5日が「津波防災の日」として制定されている。
東海地震・東南海地震・南海地震は過去にも繰り返し発生しており、それぞれの地震が連動して発生すること、またおおよそ100年前後の周期で発生することが知られていることから、次の東海地震・東南海地震・南海地震への備えが進められている。