昭和7年梅雨前線による大雨(1932年)
神戸電鉄栗生線美の川橋下流(三木市滑原付近):美嚢郡三木町は、山間貯水池の堤防決壊による濁流のため惨害を受けた。同町水災誌によれば、「1日午前8時より降雨、午後に至り雨勢強まり夜に入って強雨となり、2日昨夜来の雨は未明に至って車軸を流す如く、東天漸く白まんとする頃永代池決壊し新墓流失した。美嚢川増水12尺、二位谷池・福田池・恵宝池・川池等時を同じくして決壊、水速1秒20間、急勾配の谷川を奔流して芝・平山・下滑原町一帯を襲い、死者33名、重傷・軽傷者31名、家屋流失・全壊57戸、半壊17戸、小破23戸、床上浸水73戸、床下浸水1,450戸の被害を出した。」と記録されている。梅雨末期に出現する梅雨前線で降雨が多かった地域は、六甲山系周辺と淡路である。また、豪雨は大体南西から北東の走向を持った狭長な区域内に現れるのが通性で、本件もこの型に属する。
提供:兵庫県CGハザードマップ
1932年(昭和7年)7月1日から2日にかけて、梅雨前線の影響で兵庫県内は大雨に見舞われた。
特に、三木町(現在の三木市)では2日朝、降り続く大雨の影響で、町の中心部の背後の丘陵から流れ出す谷を堰き止めて造られた永代池などのため池数か所がほぼ同時に決壊し、濁流が下流の集落を襲ったほか、中心部を流れる美嚢川も大きく増水した。この大雨で、33人が死亡し、損壊・浸水家屋は1,600棟以上にのぼった。