チリ地震津波

故佐藤良輔東大名誉教授収集写真「チリ地震津波八戸市」 P1 提供:防災科学技術研究所(撮影:佐藤良輔)

 1960年(昭和35年)5月24日未明、日本の太平洋沿岸を突然大津波が襲った。これは、日本時間で前日の23日4時過ぎに発生した南米チリ沿岸を震源とするマグニチュード9.5の巨大地震に伴って生じた津波が、地震発生から約22時間をかけて日本の沿岸に到達したものであった。津波の高さは、三陸沿岸で5m超に達し、死者・行方不明者は142人、家屋の全半壊・浸水40,000棟以上という甚大な被害となった。

 当時は広域での地震や津波の情報共有体制はなく、事前の予告のないまま津波の襲来を受けたことで被害が大きくなった。これを契機に、太平洋広域での地震・津波情報の共有組織が国連の下に組織された。現在は気象庁から、海外でマグニチュード7.0を超えるような大きな地震が発生した際などには、地震発生後30分以内に「遠地地震に関する情報」が発表され、この中で、日本への津波の有無についても発表されるようになっている。

専門家からのアドバイス

この災害で学ぶべき教訓は何か、専門家が解説します。

この地震を契機に国際協力体制を整備

 日本からはるか遠く離れたチリで起こった地震による津波が、地震発生からおよそ1日後に北海道・東北沿岸を中心に太平洋全域に襲ったのが、チリ地震津波です。人間が津波を本能的に警戒する「揺れ」という前触れがなかったため、完全に不意打ちだったといえるでしょう。

 日本では1950年代に全国を対象とした津波予報を出すようになりましたが、遠地津波については対応できておらず、第一波が来た後で警報が出されました。結果、122名の人命が失われ、872名が負傷してしまいました。

 これを契機に、ハワイにある国際津波情報センターが設立され気象庁が遠地津波における国際協力をすることになり、遠く離れた場所で起こった地震による津波についても的確に警報が出されるようになりました。しかしながら、2010年にチリ中部でマグニチュード8.7の地震が起こり、当時はエリアメールやメディアを通じて東日本太平洋沿岸域に大津波警報が出たにもかかわらず、沿岸域での避難率は大変低かったのが現状です。このことが東日本大震災での津波避難の油断に繋がったとも指摘されています。

 警報が出たら、すぐに逃げる。まずはこれを徹底することが、大切な命を守る一番の方法です。

今村 文彦(東北大学 災害科学国際研究所所長 教授 工学博士)
今村 文彦
東北大学 災害科学国際研究所所長 教授 工学博士
広域大災害に対する知見と教訓をまとめ、被災地域での復興計画や法律立案に寄与。さらに、その成果を国内外に発信し、世界各地での被害軽減に多大な貢献している。2016年防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞。

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