室戸台風(1934年)
流失した矢田川矢田橋付近(香美町[旧香住町]七日市):極めて優勢な台風が室戸岬の僅か西方から高知県に上陸し、徳島市付近、淡路島を経て神戸市をかすめ、次いで尼崎付近を通過して京都市付近に達し、更に北東に進んだ。20日22時頃より小雨となり、21日黎明天候悪化し、7時前後暴風となり、甚大な被害が県内各地に生じた。被害甚大地域は、淡路・阪神間・但馬方面である。阪神間・淡路地方は高潮と暴風雨のため、海岸地帯一円は浸水の被害により、田畑・家屋の流失に伴う多数の死傷・行方不明者を出し、但馬地方は急激なる河川増水によって道路・堤防の決壊、家屋・橋梁の流失等惨禍を極め、殊に交通不便の山村では、交通路を絶たれ、糧食の欠乏を告げる惨を見るに至った。また山陰・播但線は復旧に相当の時日を要し、阪神間では各発電所が相当の被害を受け、その復旧に22日間を要した所もあった。 提供:兵庫県CGハザードマップ
1934年(昭和9年)9月21日朝、台風が高知県室戸岬に上陸。上陸時の中心気圧911hpaは、現在でも観測史上最低とされており、これらに因み室戸台風と命名された。台風は四国への上陸後、近畿から北陸地方に達した。
特に大阪府では、強風による建物への被害と、大雨や高潮による浸水が同時に発生し、台風の通過時刻が小学校に通う児童の登校時刻と重なったため、学校が倒壊するなどし、多くの犠牲者をもたらした。また沿岸部では4mに及ぶ高潮が発生し、沿岸の工業地帯で多くの被害が発生した。死者2,702人、行方不明者334人、負傷者14,994人が被害を受け、建物の被害も損壊家屋92,740棟、浸水家屋401,157棟に達した。
本台風を契機とし、気象台による気象特報(現在の気象注意報)の発表が開始された。
参考資料
- 気象庁「日本に大きな被害を与えた台風の一覧」
- 国立公文書館「室戸台風と小学校(公文書の世界)」
- 羽鳥光彦「気象業務法等の沿革-法制度から見た特徴とその意義-(測候時報)」