関東大震災(1923年)
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専門家からのアドバイス
この災害で学ぶべき教訓は何か、専門家が解説します。
大都市が壊滅すれは国が破たんする
1923年9月1日11時58分に発生したフィリピン海プレートと北アメリカプレートが接する相模トラフでのマグニチュード7.9の関東地震に付けられた災害名称です。震源域は神奈川県西部から房総半島南部に及び、南関東を中心に広域な被害となりました。死者・行方不明者は10万5千人余り、全潰家屋11万棟、焼失家屋21万棟と言われ、経済被害は当時の国家予算の3倍、国内総生産の3割と言われ、震災後、大正デモクラシーと呼ばれた時代が暗い時代へと変貌していきます。
被害の中心は東京と横浜の市街地であり、政府は、震災直後、緊急勅令でモラトリアムをしました。この地震の後、1925年に北但馬地震、27年に北丹後地震、30年に北伊豆地震、33年に昭和三陸地震と被害地震が続発し、その間に、25年治安維持法の制定、27年金融恐慌、31年満州事変、32年5・15事件が起きます。さらに、33年国際連盟脱退、36年2・26事件、37年日中戦争、41年太平洋戦争へと時代が移り、戦争で310万人の犠牲者を出します。
この震災での被害の中心は火災でしたが、家屋の損壊数も阪神・淡路大震災を凌ぎ、相模湾を中心とした津波被害や土砂災害も顕著でした。震源から離れた東京の被害は甚大で、沖積低地に住宅を密集させた下町の火災を中心に、7万人もの死者を出しました。危険を避けた土地利用の大切さを印象付ける震災です。なお、震災後、後藤新平により作られた帝都復興構想が東京の礎となります。
山手と下町で25倍も死亡率が異なります。命を守る最も大切なことは危険を避けることです。軟弱な地盤、低地、木造密集地を避けることが基本です。また、過度な人口集中は社会を破たんさせます。東京一極集中の是正が我が国最大の課題です。
- 福和 伸夫
- 名古屋大学減災連携研究センター、センター長・教授
- 安全で安心な国・地域を実現するために地震災害軽減の研究を行う。各地の地震被害予測や防災・減災施策作りに協力、減災活動を通して新たな地域社会づくりを目指し、減災連携研究センターと減災館を中心に活動を展開している。