東日本大震災

河北新報 平成23年(2011年)3月11日(金)号外 提供:河北新報社

 2011年(平成23年)3月11日14時46分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の海溝型の巨大地震である東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した。地震の規模としては、明治以降の国内で発生した地震としては観測史上最大規模の地震となった。地震による断層の破壊は岩手県沖から茨城県沖までの約500kmに及んだ。

 この地震で、宮城県栗原市で震度7を観測したが、特に津波による被害が大きく、津波の高さは岩手県宮古市で約40mに達するなど東北地方の太平洋沿岸部を中心に軒並み10m以上の高さとなり、壊滅状態となった集落や自治体も多かった。

 警察庁によると、震災・津波による人的被害は2021年3月10日現在、死者15,899人、行方不明者2,526人。死者の内訳は、宮城県が最多の9,543人、岩手県が4,675人、福島県が1,614人、他9都道県で67人となる。行方不明者の内訳は、宮城県が1,215人、岩手県が1,111人、福島県が196人、千葉県が2人、青森と茨城の両県がそれぞれ1人。災害関連死を含めると、死者・行方不明者は20,000人を超える。

 また、津波に襲われた福島県の東京電力福島第一原子力発電所では、非常電源設備を含む全電源を喪失、原子炉の冷却ができず炉心溶融(メルトダウン)した。これによって原子炉格納容器の圧力が上昇し、翌12日に水素爆発が発生、大量の放射性物質が大気中に放出された。発電所周辺の大熊町、双葉町などは現在も町の広い範囲が帰還困難区域に指定されている。

専門家からのアドバイス

この災害で学ぶべき教訓は何か、専門家が解説します。

平常時の「もしも…」の想定が、命を救う

 東日本大震災は、マグニチュード9.0の巨大地震でした。さらに、日本の災害史上最大級の津波が、東日本全域の沿岸部を襲いました。津波の大きさは、1771年の八重山地震による明和の大津波に次ぐ最大遡上高34.7メートルを記録しています。

 東日本大震災は地震の第一波そのものが非常に大きく、地震計を振り切ってしまったために、当初その規模をマグニチュード7.9と過小評価していました。津波警報も、発生直後は津波の高さを最大6メートル(宮城県)とし、実際に警報を引き上げたのは、地震から28分後でした。亡くなった方の多くは津波が原因ですが、避難が遅れた理由として挙げられるのは、これまでの経験的判断が大きく関係していたといわざるを得ません。

 2010年2月に起こったチリ地震、そして東日本大震災の2日前にも地震(前震)があり津波警報や注意報が出ましたが、被害がほぼありませんでした。こうした経験が「大丈夫だろう」という油断になってしまったのだと思います。
一方で、仙台市内にある仙台東部道路では、近隣住民の方およそ300名が高速道路上に逃げて難を逃れました。2004年のスマトラ沖地震を受け、国内であの規模の津波が起こったことを想定し、近隣の皆さんが東部道路を緊急的に避難場所として使用したいとNEXCOや仙台市に申し入れをしていたのです。

 このように、平常時から、「災害が起こったら…」ということを想定し、避難路・場所を確保すること、そして地域だけでなく学校教育においても子どもたちに伝えていくことが今後の減災には必要不可欠です。

今村 文彦(東北大学 災害科学国際研究所所長 教授 工学博士)
今村 文彦
東北大学 災害科学国際研究所所長 教授 工学博士
広域大災害に対する知見と教訓をまとめ、被災地域での復興計画や法律立案に寄与。さらに、その成果を国内外に発信し、世界各地での被害軽減に多大な貢献している。2016年防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞。

参考資料

災害カレンダー

311

明治5年12月2日(1872年12月31日)以前の災害は旧暦で記載しています。