狩野川台風(1958年)
1958年(昭和33年)9月26日21時頃、後に「狩野川台風」と命名される台風22号が伊豆半島南端をかすめ、翌27日0時頃に神奈川県三浦半島に上陸、東日本・北日本を北上した。
前線の北上により東海・関東地方で大雨となり、伊豆半島の静岡県湯ヶ島では年間降水量のおよそ3分の2となる24時間降水量694mmを記録し、近くを流れる狩野川流域が氾濫した。
また、東京都心でも日降水量371.9mmを記録する大雨となり、東京都や神奈川県では、新興住宅地の浸水や造成地の崖崩れが相次ぐなど都市化による災害が顕在化したことも特徴であった。
関東地方や静岡県を中心に、死者888人、行方不明者381人、家屋損壊4,293棟、家屋浸水500,000棟以上の甚大な被害が発生した。
専門家からのアドバイス
この災害で学ぶべき教訓は何か、専門家が解説します。
避難が無駄になって「よかった」と思えるように
このエリアは、狩野川が、黄瀬川をはじめ多くの支川を合流し、南から北に大きく蛇行しながら流れています。狩野川台風は、1時間で120mm、狩野川が流れる湯ヶ島ではおよそ15時間あまりで700mm以上という強烈な豪雨となりました。そして前述の特異な地形によって、土石流、堤防の決壊、氾濫などが起きて大きな被害が発生したのです。
被災後に大きく変わったのは、何と言っても放水路ができたことです。狩野川台風以前から建設計画は進められていましたが、狩野川台風を受けて、より大規模な水害に対応できるよう計画を見直し。そうして1965年に完成したのが狩野川放水路です。大雨で水位が上がった際は、放水をすることで川の水を海に逃がし、河川の氾濫を防ぎます。
国土交通省としては、放水路の建設や堤防の整備といったインフラ整備によって、人々の生活を守る活動をしていますが、同時に、住民の防災意識の向上にも力を入れています。避難指示を受けて早めに避難をすること、避難が無駄になったとしても、「損した」ではなく、「何もなくてよかった」「命があってよかった」と、言える文化を作り上げる必要があると考えています。
当然ながら、過去と比べて防災インフラは向上しています。しかし、今後どんな雨が降るのかは誰にもわかりません。史上最高の雨量が観測されることもあるでしょう。ですので台風のときなどは、テレビやインターネットなどで気象の情報を確認しつつ、警報やアナウンスが出たら迅速に避難するのが、命を守る大原則です。
- 杉山 紀行
- 国土交通省中部地方整備局 沼津河川国道事務所 副所長(河川)
- 国土交通省中部地方整備局の職員として、堤防の整備など治水事業に従事。また、小学校のカリキュラムに防災に関する時間を設ける(防災河川環境教育)など、住民の防災意識の向上のための活動も行う。
- 関連リンク
- 国土交通省 中部地方整備局 沼津河川国道事務所