明治43年の大水害(1910年)
1910年(明治43年)8月から9月にかけて、長引く梅雨前線の停滞と2つの台風の接近により関東地方は大雨に見舞われた。
特に利根川と荒川では堤防が至る所で決壊し、埼玉・千葉両県の平野部が広く浸水、東京でも隅田川が決壊し、本所(墨田区)一帯が浸水した。この洪水で、関東地方を中心に死者679人、浸水家屋は500,000棟を超える甚大な被害となった。
明治維新後の経済発展もあって首都である東京への人口集中や宅地化が進む中、水害に強いまちづくりが求められており、この水害を契機に荒川では抜本的な河川改修が行われ、蛇行部分の直線化に加えて、現在の隅田川を流れていた荒川の下流部分を分流し、新たに放水路を掘削した。東京都北区にある岩淵水門が、かつての荒川(現在の隅田川)と現在の荒川の分岐点となる。