明治40年大水害(富士川豪雨)(1907年)
1907年(明治40年)8月22日から28日にかけて、台風の接近に伴い、山梨県内では洪水や土砂災害が相次ぎ、「明治40年大水害」と呼ばれる有史以来最大規模とされる被害となった。この水害で、山梨県内で233人が死亡し、浸水・損壊家屋は25,000棟以上に達している。
この期間の降水量は南部町で469.3mm、甲府市で327.1mmという記録が残っているが、特に、甲府盆地の東縁に近い日川、重川、御手洗川流域の日川村(現在の山梨市)や一宮村(現在の笛吹市)では山崩れによる土砂によって一帯が巨石に覆われ河原のようになったと伝えられている。
この災害を契機として、富士川の支流の笛吹川の改修工事や被災者の北海道移住などが行われた。