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- 令和4年桜島噴火警戒レベル引き上げ
- 2022年
- 2022年(令和4年)7月24日20時5分、鹿児島県の桜島・南岳山頂火口で爆発的噴火が発生し、弾道を描いて飛散する大きな噴石が火口から約2.5kmまで達した。 この噴火を受けて、気象庁は同日20時50分、桜島に噴火警報を発表し、噴火警戒レベルを最も高いレベル5(避難)に引き上げた。これは現行の噴火
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- トンガ沖海底火山噴火
- 2022年
- 2022年1月15日13時頃(日本時間、以下同様)、南太平洋トンガ諸島のフンガ・トンガ-フンガ・ハアパイ火山で大規模な噴火が発生した。この噴火に伴い、日本では、津波の伝播速度から予想される到達時刻より数時間早く、潮位変化が観測された。気象庁は当初、「津波被害の心配はない」と発表したが、日本の沿岸で
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- 福徳岡ノ場の噴火による軽石被害
- 2021年
- 2021年8月13日、東京湾から約1,300キロ南方の小笠原諸島にある海底火山「福徳岡ノ場」で噴火が発生し、噴出した軽石が約2カ月かけて沖縄や太平洋沿岸の各地に漂流した。軽石は海面付近を漂い、漁業や観光業に深刻な被害を与えた。 産業技術総合研究所によると、気象衛星の映像から同日5時57分頃から噴火
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- インドネシア・アナククラカタウ島噴火・津波発生
- 2018年
- 2018年(平成30年)12月22日21時30分頃、インドネシアのスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡に位置する火山島のアナク・クラカタウ島が噴火した。この噴火に伴って津波が発生し、スンダ海峡両岸のスマトラ島とジャワ島の沿岸部では、437人が死亡、10人が行方不明、30,000人以上が負傷し、およ
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- 草津白根山(本白根山)噴火
- 2018年
- 2018年(平成30年)1月23日10時2分頃、群馬県の草津白根山の本白根山で噴火が発生した。草津白根山は複数の火山から構成されており、これまで湯釜やその周辺での噴火が知られていたが、本白根山では火口の地形は残るものの、記録に残る明確な噴火の記録はなかった。 本白根山では山頂近くにも草津国際スキー
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- 箱根山噴火
- 2015年
- 2015年(平成27年)6月30日、火山活動が活発化し立ち入りが規制されていた神奈川県・箱根山の大涌谷でこの日降灰が確認され、気象庁は、前日の29日から大涌谷の噴気地帯で噴火が発生していたとして噴火警戒レベル3(入山規制)に引上げられた。箱根山での噴火は鎌倉時代の12世紀後半~13世紀頃以来である
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- 口永良部島噴火
- 2015年
- 2015年(平成27年)5月29日9時59分頃、鹿児島県の口永良部島で大きな噴火が発生した。噴火による噴煙の高さは火口縁上9,000m以上に上昇し、火砕流が海岸の集落まで達した。気象庁は、噴火警戒レベル導入以来初となるレベル5(避難)を発表、全島民が夕方までに近くの屋久島に避難した。 火山活動はそ
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- 御嶽山噴火
- 2014年
- 2014年(平成26年)9月27日11時52分頃、長野・岐阜県境の御嶽山で噴火が発生した。土曜日の昼前、かつ紅葉シーズンにも当たったことから山頂付近にいた多くの登山客が噴火に巻き込まれた。飛散した噴石などで63人が死亡・行方不明となり、戦後最悪の火山災害となった。 これを受けて、気象庁では翌201
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- 霧島山・新燃岳で爆発的噴火
- 2011年
- 2011年(平成23年)1月27日15時41分頃に霧島山・新燃岳で爆発的な噴火が発生した。新燃岳では、1月19日に2年5カ月ぶりとなる小規模な水蒸気噴火が発生した後、26日には噴煙が3,000m上空まで上がり約300年ぶりとなる本格的なマグマ噴火に移行、九州南部の広い範囲で降灰が観測されていた。
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- アイスランド・エイヤフィヤトラヨークトル火山噴火
- 2010年
- 2010年4月14日、アイスランド南部に位置するエイヤフィヤトラ氷河に覆われたエイヤフィヤトラヨークトル火山で噴火が発生した。噴煙は上空9,000mに達し、西もしくは北西からの風が吹いていたため、火山灰が欧州各国に流れ、約30カ国の空港を一時閉鎖に追い込んだ。 この混乱は約1カ月にわたって続き、延
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- 有珠山噴火
- 2000年
- 2000年(平成12年)3月31日13時7分頃、北海道の有珠山が噴火した。有珠山はこれまでにも数十年の間隔を開けて噴火を繰り返しており、今回の火山活動は1977年(昭和52年)~1982(昭和57年)以来となった。 有珠山の噴火は、山頂のカルデラ内だけではなく、山麓など火山の周辺でも発生することが
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- 青森県八甲田山で火山ガス噴出
- 1997年
- 1997年(平成9年)7月12日、青森県の八甲田山の北東山麓にある田代平で、窪地に溜まっていた火山ガスの二酸化炭素により、レンジャー訓練中の陸上自衛隊員3人が死亡した。 八甲田山には、酸ヶ湯から地獄沼付近にかけて複数の噴気孔が点在しており、特に地獄沼では活発な噴気活動が続いている。この事故の後の2
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- フィリピン・ピナトゥボ火山大噴火
- 1991年
- 1991年6月7日、フィリピン・ルソン島にあるピナトゥボ火山で大噴火が発生した。これに先立ち、ピナトゥボ火山周辺では4月頃から小規模な水蒸気噴火が繰り返し発生しており、政府は大規模な噴火に備えて山麓の住民を避難させていた。 この6月7日の噴火以降、ピナトゥボ火山では大噴火が相次ぎ、12日の噴火では
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- 雲仙普賢岳で大規模火砕流
- 1991年
- 1991年(平成3年)6月3日16時8分頃、長崎県の雲仙岳(普賢岳)で大規模な火砕流が発生し、43人が死亡・行方不明となった。前年の1990年(平成2年)から始まった噴火活動がこの年になって活発化し、5月には地獄跡火口に溶岩ドームが形成され、この溶岩ドームの崩落による火砕流が頻発していた。 この大
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- 伊東沖海底火山噴火
- 1989年
- 1989年(平成元年)7月13日18時35分頃、静岡県伊東沖で海底火山が噴火した。この周辺では、6月末から20,000回を超える群発地震が発生していたが、その中、7月11日には伊東沖で火山性微動が発生し、13日、この地域で有史以来初となる噴火が発生した。 後にこの海底火山は手石海丘と命名された。
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- 伊豆大島三原山大噴火 全島民が島外避難
- 1986年
- 1986年(昭和61年)11月21日16時15分頃、伊豆大島の三原山で大噴火が発生した。 三原山では既に11月15日から山頂火口で噴火が発生していたが、この日の夕方からは山腹での大規模な割れ目噴火に様相が変わった。山腹に開いた多数の噴火口から溶岩が流出し、一部の溶岩流は島の中心集落の元町地区の背後
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- カメルーン・ニオス湖湖水爆発
- 1986年
- 1986年8月21日21時頃(現地時間)、カメルーン北西部にある火口湖のニオス湖で爆発音とともに大量の二酸化炭素が噴出し、谷筋に沿って周辺の集落に流れ込んだ。この噴出で住民1,743人が窒息死し、湖周辺から避難した住民は今なお帰還できない状態が続いている。 この噴出現象は、地下のマグマだまりから供
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- ネバドデルルイス火山泥流災害
- 1985年
- 1985年(昭和60年)11月13日23時30分頃、南米コロンビア・ネバドデルルイス火山で噴火が発生した。噴火に伴い、山頂付近の大量の雪氷が融け泥流となって山麓のアルメロの市街地を襲い、死者・行方不明者は23,000人にのぼった。 ハザードマップに基づく避難計画の未策定、避難指示が発表されなかった
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- 三宅島噴火
- 1983年
- 1983年(昭和58年)15時23分頃、伊豆諸島の三宅島で噴火が発生した。この噴火に先立ち、14時前から島内の測候所で噴火の前触れともいえる地震が観測され始めていた。 噴火に伴い大量の溶岩が噴出、阿古地区はこの溶岩流により集落が埋没、400棟が焼失したが、地区の住民は直前に全員が避難し、人的被害は
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- アメリカ・セントへレンズ火山大噴火
- 1980年
- 1980年(昭和55年)5月18日8時32分頃、アメリカ北西部のワシントン州にあるセントへレンズ火山で噴火が発生した。噴火により北側斜面が大規模に崩壊、火砕流や土石流による甚大な被害が発生し、57人が死亡・行方不明となった。 この噴火から山頂部が崩壊するまでの様子は映像に残されており、「アメリカの
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- 御嶽山・有史以来初の噴火
- 1979年
- 1979年(昭和54年)10月28日5時20分頃から御嶽山南斜面で水蒸気噴火が始まる。火口周辺では火山灰が約50cm積もり、遠くは群馬県前橋市まで降灰が観測された。 活動記録なしの火山噴火に学界は衝撃を受け、火山の活動による分類で「死火山」や「休火山」の用語の使用を止める契機となった。
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- 阿蘇山噴火
- 1979年
- 1979年(昭和54年)9月6日13時6分頃、阿蘇山の中岳第一火口で爆発的噴火が発生した。規制区域外にあったロープウェイの駅と展望台へも噴石が飛散し、観光客らが巻き込まれるとともに、駅施設の天井に穴が開くなどの被害が発生し、3人が死亡、11人が負傷した。 現在まで続く火山における安全と観光の両立が
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- 有珠山大噴火
- 1977年
- 1977年(昭和52年)8月7日9時12分頃、北海道の有珠山で大噴火が発生し、噴煙は高さ12,000mに達した。前日から周辺の洞爺湖温泉などでは有感地震が多発しており、住民は噴火前に避難していたため、この日の噴火に伴う人的被害はなかった。 これ以降、火口原での地殻変動が1982年(昭和57年)3月
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- 新潟焼山噴火
- 1974年
- 1974年(昭和49年)7月28日2時50分頃、新潟焼山で噴火が発生した。噴火形式は山頂の割れ目火口からの水蒸気爆発で、降灰量は650,000トン、降灰域は北東100kmに達した。 火口周辺には登山野営中の千葉大学の学生がおり、噴石により3人が死亡した。
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- アイスランド・ヘイマエイ島噴火
- 1973年
- 1973年(昭和48年)1時55分頃にアイスランド島の南にあるヘイマエイ島の東部で割れ目噴火が始まった。火山灰や溶岩により島の3分の1にあたる住宅数百軒が埋没し、一時全島民避難も実施された。 流出した溶岩は島の経済を支える漁港へ迫ったため、この溶岩の先端に消火ポンプで海水を散布して、溶岩の流れを食
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- アイスランド・スルツェイ島出現
- 1963年
- 1963年11月15日、北欧アイスランドの南西の大西洋中央海嶺上で、前日から噴煙が確認されていた地点で新島出現が初めて確認された。顕著な火山活動は1967年6月まで継続し、最大直径1.3kmの新島が形成された。島は北欧神話の炎の巨人である「スルト」にちなみスルツェイ島と命名された。 アイスランド本
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- 十勝岳大噴火
- 1962年
- 1962年(昭和37年)6月29日22時40分頃、北海道の十勝岳で大噴火が発生した。噴煙は上空12,000mに達し、道東から千島列島の広い範囲で降灰が観測された。 大正火口縁にあった硫黄鉱山事務所が噴石により破壊され、5人が死亡、11人が負傷した。その後も、7月上旬まで火柱を伴う噴火が継続した。
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- 阿蘇山噴火
- 1958年
- 1958年(昭和33年)6月24日22時15分頃、阿蘇山が噴火し、周辺に噴石が飛散した。阿蘇山ロープウェー火口西駅には大きいもので直径約50cmの噴石が多数落下し、ロープウェー関係の作業員12人が死亡、28人が負傷した。
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- 阿蘇山噴火で死傷者多数
- 1953年
- 1953年(昭和28年)4月27日11時31分頃、阿蘇山の中岳第一火口から噴火が発生した。この噴火で人身大~人頭大の噴石が火口周辺に飛散し、修学旅行中の高校生など多数の観光客が巻き込まれ、6人が死亡、約90人が負傷した。 現在、中岳第一火口周辺には噴石を避けるために複数の退避壕が設けられている。
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- 明神礁噴火
- 1952年
- 1952年(昭和27年)9月24日、伊豆諸島・青ヶ島の南にあるベヨネース列岩の明神礁で、付近の海底火山噴火により生成した新島の調査に向かった海上保安庁水路部の第5海洋丸が、近傍の海底火山の噴火に巻き込まれ、乗組員31人全員が殉職した。 明神礁周辺では度々海底噴火が発生し、新島の生成・消滅が繰り返さ
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- 桜島・昭和噴火
- 1946年
- 1946年(昭和21年)3月9日夜、桜島の噴火に伴い、標高800mにある昭和火口から溶岩が流出した。桜島では現在も活発な噴火活動が継続しているが、この噴火が溶岩を流出した最新の噴火となっている。 流出した溶岩は二手に分かれ、4月5日に北東側の海岸へ、5月21日には南側の海岸へ達した。この噴火で1人
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- 昭和新山噴火開始
- 1944年
- 1944年(昭和19年)6月23日、北海道の昭和新山の噴火が始まった。現在こそ標高約400mの山となっているが、もともとは有珠山山麓の畑から噴火が始まり、次第に隆起していったものであり、翌1945年(昭和20年)にかけて溶岩ドームが生成され、「昭和新山」と名付けられた。 戦時下であり、火山活動につ
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- 三宅島噴火
- 1940年
- 1940年(昭和15年)7月12日19時40分頃、伊豆諸島の三宅島で噴火が始まった。噴火は雄山の北東山腹の標高200m付近から始まり、流れ出た溶岩が1時間ほどで山麓の集落を埋めた。 居住域から噴火が始まったため被害が大きくなり、11人が死亡、20人が負傷した。その後、噴火活動は山腹から山頂火口に移
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- 磐梯山で山崩れ
- 1938年
- 1938年(昭和13年)5月9日、福島県の磐梯山で山崩れが発生した。磐梯山では、1888年(明治21年)7月15日の大噴火で山の北側が大崩壊したが、この山崩れではこの際に形成された火口壁が融雪に伴って再び崩壊した。崩壊した土砂は土石流となって約3kmにわたって流下し、山麓の川上温泉に到達した。 山
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- 北海道駒ヶ岳大噴火
- 1929年
- 1929年(昭和4年)未明、北海道駒ヶ岳で噴火が始まった。噴火は次第に活発になり、10時頃から鳴動を伴い、噴煙が高さ約14,000mに達する大噴火となった。 火砕流や噴石、火山ガスによる被害が大きく、2人が死亡、4人が負傷し、約2,000棟の家屋が損壊・焼失した。
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- 十勝岳大噴火
- 1926年
- 1926年(大正15年)5月24日16時18分頃、北海道の十勝岳で噴火が発生。噴火に伴って、中央火口丘の北西部分が破壊され、山頂部の積雪を溶かして大規模な泥流が発生した。泥流は噴火から約30分後には山麓の上富良野町や美瑛町に達し、この一帯の集落や耕地が埋没した。 泥流に巻き込まれるなどして144人
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- 西表島北北東海底火山大噴火
- 1924年
- 1924年(大正13年)10月31日、沖縄県の西表島北北東海底火山で大噴火が発生した。噴火地点は西表島の北北東約50km沖で、この日突如として大規模な海底噴火が発生した。噴火の直後から大量の軽石が付近の海面を漂流し、西表島では港が埋まるほどの量となった。軽石は翌年にかけて黒潮などの海流に乗って北海
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- 焼岳噴火
- 1915年
- 1915年(大正4年)6月6日、数年前から火山活動が活発化していた長野・岐阜県境の焼岳で噴火が発生した。この噴火で、山頂の東側に長さ1kmにわたって大亀裂が生じ数十個の火口が生成された。 爆風による倒木や噴火に伴って発生した泥流により山麓の梓川が堰き止められ決壊や洪水も起きた。この噴火で梓川が堰き
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- 桜島・大正大噴火
- 1914年
- 1914年(大正3年)1月12日10時頃に始まった、明治以降では最大規模の噴火で、降灰は遠く東北地方の仙台市まで達した。もともとは桜島はその名の通り島であったが、この噴火で島の南東方向と西方向に溶岩が流出し、1月29日には瀬戸海峡が閉塞、大隅半島と地続きになった。 噴火の8時間後にはマグニチュード
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- イタリア・ヴェスヴィオ山噴火
- 1906年
- 1906年4月7日、イタリア・ナポリ近郊にあるヴェスヴィオ山が噴火し、降灰などにより約300人が死亡する大きな被害となった。この噴火災害がイタリア経済を圧迫したため、1908年のオリンピック開催地がローマからロンドンに変更されている。 ヴェスヴィオ山は、遺跡として有名なポンペイを埋没させた西暦79
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- 伊豆鳥島大噴火
- 1902年
- 1902年(明治35年)8月10日、伊豆諸島の鳥島近海を航行中の船舶より、島から噴煙が上がり、集落が噴出物で覆われているのが確認された。噴火は8月7日から9日にかけて発生したとみられ、元々あった中央火口丘が吹き飛ばされ島中央部に大きな火口が生成された。 この噴火で、アホウドリの羽毛採集に従事してい
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- プレー火山噴火
- 1902年
- 1902年(明治35年)5月8日、西インド諸島のフランス領マルティニーク島にあるプレー火山が噴火した。この噴火で山頂の溶岩ドームが破壊され、火砕流によって山麓のサンピエール市で約28,000人が死亡するなど街は壊滅状態になった。 これが、火山学の研究史上初めて観測された火砕流となった。
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- 安達太良山噴火
- 1900年
- 1900年(明治33年)7月17日18時頃、福島県の安達太良山が噴火した。この噴火では、沼ノ平火口で3回の大きな爆発が発生し、火口内にあった硫黄採掘所が全壊した。当時所内にいた作業員86人のうち72人が死亡した。
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- 磐梯山大噴火
- 1888年
- 1888年(明治21年)7時45分頃、福島県の磐梯山が大噴火した。これに先立って7時頃から鳴動が続いており、噴火後は北側に開いた火口から大量の噴出物が麓に流れ下り、山麓の5村11集落が埋没、461人が死亡した。 現在、「裏磐梯」と呼ばれ景勝地となっている桧原湖や五色沼などは、この時の噴火で川が堰き
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- 有珠山文政火砕流
- 1822年
- 文政5年2月1日(1822年3月23日)早朝、北海道の有珠山で文政火砕流が発生した。有珠山ではこの半月前から火山活動が活発化し、火砕流も発生していたが、この日に最大級の火砕流が発生し、外輪山を越えた南東から西にかけての内浦湾側へ流れ下り、山麓部の森林が焼失、海岸集落が壊滅して約100人が死亡した。
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- インドネシア・タンボラ火山大噴火
- 1815年
- 1815年4月10日、インドネシア・スンバワ島にあるタンボラ火山で大噴火が発生した。記録の残る中では人類史上最大の噴火と言われており、爆発音は1800km離れた場所でも聞こえ、大量の噴出物で周辺は昼も闇に覆われたとされる。 噴火で発生した火砕流が25km離れた村を襲い集落ごと消滅するなど噴火による
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- フィリピン・マヨン山噴火
- 1814年
- 1814年2月1日、フィリピンのルソン島にある標高2,462mのマヨン山が噴火し、溶岩流が山頂から10km離れた山麓のカグサワの街を埋め尽くして約1,200人が死亡した。カグサワにはこの噴火で唯一焼け残った教会の塔が現存している。 マヨン山はフィリピンで最も活動の活発な火山であり、有史以来約50回
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- 雲仙岳・眉山大崩壊「島原大変肥後迷惑」
- 1792年
- 寛政4年4月1日(1792年5月21日)夜、長崎県島原市の西にそびえる眉山が地震とともに大崩壊した。 雲仙岳では、これに先立って山頂付近の地獄跡火口からの噴火活動が続いていたが、この地震で山麓にあった眉山が大崩壊し、大量の土砂が有明海に流れ込み、島原半島と対岸の肥後、天草(熊本県)に津波となって押
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- 浅間山・天明大噴火
- 1783年
- 天明3年7月7日(1783年8月4日)、浅間山で天明の大噴火が発生した。この日の夜から噴火が激しくなり、噴煙は成層圏にも達するほどまで上昇し、江戸でも降灰がみられた。 さらに、翌8日にかけて鎌原火砕流と鬼押出し溶岩流が発生し、噴出物の堆積で下流の利根川でも洪水が生じるなど関東平野一帯にも甚大な被害
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- アイスランド・ラキ火山大噴火
- 1783年
- 1783年6月8日、アイスランド南部にあるラキ火山で大規模な噴火が発生した。大量の溶岩が周辺に流出したほか、二酸化硫黄などの硫黄酸化物やフッ素化合物が噴出し、ヨーロッパ一帯に滞留した。アイスランドを中心に家畜の大量死、農地は壊滅状態となり、飢餓などで9,000人以上が死亡した。 また、その後数年に
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- 伊豆諸島・青ヶ島噴火
- 1783年
- 天明3年3月9日(1783年4月10日)、この3年ほど前から火山活動が活発化していた伊豆諸島の青ヶ島で大きな噴火が発生した。この日の噴火では、島の中央部の池の沢火口内に複数の火口が開き、これらの火口から噴き上がった噴石が島中に降り、死者7人、家屋焼失61軒の被害となった。 その後噴火は小康状態とな
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- 桜島安永大噴火
- 1779年
- 江戸時代中期の安永8年10月1日(1779年11月8日)14時頃、鹿児島県の桜島で、記録の残る中では最大規模とされる安永大噴火が発生した。 既に噴火の数日前から地震が頻発していた中、南岳山頂火口からの白煙の後、南側中腹と北東側中腹から相次いで噴火が始まり、翌日には溶岩の流出、さらには桜島の北東沖で
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- 渡島大島大噴火・津波
- 1741年
- 寛保元年7月19日(1741年8月29日)、北海道南西部の渡島半島の西約50kmにある渡島大島(無人島)が噴火した。この噴火によって大規模な山体崩壊が発生し、岩屑なだれが大津波となって対岸の渡島半島西岸から青森県津軽半島を襲った。この大津波で、1,467人が死亡し、流出家屋は791棟にのぼった。
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- 霧島山(新燃岳)大噴火
- 1716年
- 江戸時代中期の享保元年9月26日(1716年11月9日)、宮崎県と鹿児島県にまたがる霧島山(新燃岳)で大噴火が発生した。これが翌年にかけて続いた「享保噴火」の最初の大噴火となった。 新燃岳周辺の数か所から軽石を含む噴火が始まり、火砕流により5人が死亡、600棟あまりの家屋が焼失したほか、家畜の焼死
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- 伊豆諸島・神津島大噴火
- 838年
- 平安時代の承和5年7月5日(838年7月29日)、伊豆諸島の神津島で大規模な噴火が始まった。この噴火では、海に達するような大規模な火砕流の発生と天上山溶岩ドームの生成を伴った。降灰は、9月にかけて関東・中部・近畿地方の広い範囲で観測されており、平安京でも降灰や東の方角からの爆発音の記録などが残って
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- 富士山延暦噴火
- 800年
- 平安時代の延暦19年3月14日(800年4月11日)、富士山の北東山腹から噴火が発生し、この日から約1カ月間に渡り活発な噴火活動があったと日本紀略に記載がある。 噴火に伴い、多量の降灰や溶岩の流出があった。噴火は延暦21年(802年)にかけて続き、801年(延暦20年)の噴火では、大量の降灰や砂礫
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- 富士山で最古の噴火記録
- 781年
- 奈良時代末期の天応元年7月6日(781年7月31日)、朝廷編纂の『続日本紀』に、富士山の噴火に伴う降灰の記録が残っている。噴火の規模などの詳細は不明であるが、これが富士山における最古の噴火の記録となっている。
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- ヴェスヴィオ火山噴火
- 79年
- 西暦79年8月24日13時頃(現地時間)、イタリア南部・カンパニア州のナポリ近郊にあるヴェスヴィオ火山で噴火が発生した。この噴火で吹き上がった大量の軽石と火山灰が、当時麓にあった人口約20,000人の都市ポンペイに降りかかり、町のほとんどを埋没させた。大部分のポンペイ市民は火山灰が降る中避難したが